あなたの気配


 習い性で、アラームが鳴る前に目が覚める。当然のように体を起こそうとして──掛け布団をかぶせて止められた。掛け布団越しに抱きしめられているのがわかる。
「ムウ?」
 やっと慣れ始めた彼の名前を寝ぼけ眼に呼んでみた。彼はそれに真正面から答えるではなく、彼女の丁度耳の部分に口元を寄せて酷く優しく囁いた。
「あと二時間あるだろ?もう少し寝ておいで」
 その状態のまま、マリュー・ラミアスはくすりと声を立てて笑った。その笑い声の末尾に不審そうなムウの「へっ?」という声がかぶる。
「笑うとこだったか?今の」
「だって、なんだか別の人みたいだったわ」
「君は寝起きにご機嫌がよろしすぎるクチか」
 やれやれ、とこれ見よがしに呟くムウ・ラ・フラガのおなかとおぼしき辺りをめがけて、マリューは右ストレートを繰り出した。予測通り、ぱしん、と軽い音がする。
「しゃーねーだろ?これでも君に気ぃ遣ってんの。昨夜散々無理・・・って痛いよ、マリューさん」
「あなたが変なこと言おうとするからでしょ?」
「でも本当のことだろ・・・って、だから痛いって!」
 マリューは自分を包むムウの腕の力がきゅっ、と強くなるのを感じた。布越しだというのにその感触は強く、確かで。そして何より暖かい。
「つかまえた」
 なんて、幸せそうに言われたものだから
「力ずくなんてずるいわ」
 としか、マリューには呟くことが出来なかった。
「はいはい。いいから、大人しく横になるの」
 わかったわ、と言いかけて、マリューは鼻にかかったようなあまい声で囁き返した。
「ね、ムウ。さっきの『もう少し寝ておいで』って、もう一回言って?」
「何、気に入った?」
 からかうようなムウの声に、マリューは「ええ」と笑って言う。
「あなたらしくはないけど、何だか凄く優しくて、好き」
「だろうな。小さい頃俺付きのおばさんがいてさ、オフクロが忙しくて俺の傍にいないときはいっつも寝坊させてくれてたんだよ。その時言ってくれてたのが、あれ」
 もう少し寝ておいで。
 そんな優しい記憶に触れさせてくれたのが嬉しい。
「今度、その話もっと聞かせてね?」
「気になる?」
「ええ。ムウが小さい頃、どんな子だったのか、とか。あなたのこと、もっと聞きたい」
 少女のような綺麗すぎる言葉を、ムウは嘲笑することなく。却って愛しそうに、マリューの頭を布越しに撫でた。
「マリューさん可愛すぎ」
 ムウにそう言われたのが嬉しかったのか、マリューは彼女にしては珍しく、もう一度彼に我が侭を言った。
「ね、もう一回言って?」
「わかった。その代わり本当にもう一回ちゃんと寝るんだぞ?
 もう少し寝ておいで、マリュー。いい夢を」
 きゅ、ともう一度ムウの腕に力が籠もる。そしてすっと離れると、遠ざかる足音が、布越しに柔らかく聞こえた。
 ぷしゅ、と艦長室の扉が開閉する音が響く。
 約束したようにもう一度寝付こうとして──そう出来ないことにマリューは気がついた。
「ムウ」
 呼んでみるが、答えのあるはずもない。
 ばっ、とかけられていた布団をはぐと、外気が直に肌に当たって、ひんやりと、余計に寒く感じた。部屋を見回すと、其処は当然見慣れた彼女の部屋で。彼の気配は何処にもなく。
 ふいに、不安に襲われる。
 ついさっきまで、此処にいて。あんなに優しい言葉を、多分一生懸命考えてかけてくれたのに。ほんの数時間前、ひとつになれたはずなのに。
 その証拠は何処にもない。
 部屋の何処を探っても彼の気配は何処にもなく。昨夜はどちらも気が急いていた所為で、彼の飲み差しのカップすらない。
 ほんの数分前の出来事が信じられなくなりそうで。
「ムウ」
 子供が親を呼ぶように、マリューは頼りなく口にした。
 彼の気配は跡形もなく。
 そろそろと、マリューは掛け布団をひっぱりあげた。其処に微かに残る温もりと、ムウの匂いに、ふっと気づく。ぎゅ、とそれをさっきムウがそうしたように、抱きしめてみる。映ってくる温度に、ほんの少し安心して、ころん、と横になった。
 頭の中に、微かに昨夜のムウの声や、表情が蘇る。
 これだから、私は彼に手を伸ばしてはいけなかったのに。
 傷つけてしまいかねないほど、手を伸ばし続けて。暖めて欲しくて、抱きしめて欲しくて。
 そうして、きっとムウの気配のない場所では、生きていくことが出来なくなってしまうって、わかってたのに。
 もう遅い。
 ムウのいないひとりぼっちの部屋で、私はどうやって眠っていたのか、忘れてしまったもの。
「いい夢なんか、見られないわ」
 ぽっつりと呟いた言葉は、ムウに届くよしもなく。
 マリューはムウの気配の残り香を探すように、掛け布団をしっかりと抱きしめ直して目を閉じた。














酔桜屋の琴姫さんに頂いたフラマリュです。

うわうわわどうしよう凄いもの貰っちゃった…(緊張)
琴姫さんの書かれるこのじんわりくる文章が大好きなんです。あぁぁ嬉しい本当嬉しい死んでも良い。家宝決定。

琴姫さん、本当に有難うございました!!!

2006/11/06

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