もうすこし

 ごくごくいつもの光景だ。マリュー・ラミアスが自分自身のデスクにつき、ムウ・ラ・フラガが多目的な用途に使われるはずのデスクを私物化して、二人とも書類を片づける。オーブ連合首長国陥落以来、特に大きな戦闘もなく一ヶ月ほどもすぎればそんな光景はごく当たり前になっていた。
 いつもと少しだけ違うのは会話がないことだ。
 ちろ、と榛色の視線が動く。その先にある、端正な男の顔は少しも動かない。戦闘外では希少な、ひどく真面目な顔をして端末を叩き続けている。無機質なキーボードの音が乱れないうちにマリューは視線を自分の手元にある書類に戻した。
『ストライカーパックの追加案として、ガンバレルの応用が模索されており、具体的には』
 ああ、もう何回も同じ所を読んでいるわ。
 苛々と読み進めようとするが、どうにも頭に入ってこない。自分の専門分野であるモビルスーツに関する書類だというのに。
 ムウが悪いのよ。
 心の中で毒づく。
 いつもはデスクワークの嫌いなムウのこと、席に着くなりひっきりなしにマリューに話しかけてくる。それが本当にどうでもいい、けれど少しも影のない話ばかりでマリューは怖い顔をするのにいつも以上に苦労するのだ。
 それが、今日は一体どうしたというのか。すこしも話しかけてこないで書類に没頭している。
 マリューが喜んだのは最初だけだった。
 ちっとも集中出来ない。
 士官学校時代から、ペンの音さえ響いてしまうほど静かな環境で作業をする癖のついていた自分が。どうして、いつの間に彼のお喋りがないと作業一つ満足に出来なくなってしまったんだろう。
 けれど連日静かに、と言っていた自分から声をかける気にはとてもなれなくて。
 マリューは黙って手元に目を落とす。ほんの時折視線をあげて、小揺るぎもしないムウの横顔に走らせる。
 どうしよう。
 ねえ、もうすこしだけこっちを向いて。
 でも、今更どうして私の方から声をかけられる?いつもあんなに「真面目にやって下さい」って言っておいて。
 ぐるぐると考えて、ふとマリューは思い出す。
 そう、あと五分位したらお茶を淹れよう。エリカさんから美味しいクッキーを戴いたんだから。だから。休憩時間にしましょうって、声をかければいいのよ。
 それだけ、簡単なこと。
 そうすれば、また私がこのひとに流されたことにはならないもの。
 勿論、マリューはそんなことを考える時点でムウに流されてしまっていることはわかっていた。けれど、其処には敢えて目をむけないことにする。一件以来、マリューは何に付けてもムウの思う通りになっているような気がしていて。それがひどく口惜しかったのだ。
 つまらない意地だけど、もうすこしだけ。
 少しも集中出来ない五分が過ぎる。
「ムウ」
 何となく気恥ずかしくて、ほんの小さな声で声をかけた。
「ん、どした?」
 そんな風返ってくると思っていた返事は、ない。
 ムウは尚も変わらず端末に目を落としたきりだ、ご丁寧に額に皺を寄せてまで。
「ムウ?」
 今度はもうすこし大きな声で。
 それでもムウは顔を上げなかった。
 集中しているのかしら、それとも私が「静かにして」って言うから、怒ったの?
 答えが出るわけもなく。ふいに、マリューの心を、怒りが灼いた。


・・・


 きっかけは、ほんの些細な思いつきだった。
 毎回毎回怒られて、なんだか悪いことをしたような気になったのも事実だし、少し困らせてやろうってのもあった。
 案の定、マリューは俺の態度に戸惑っているようだった。そりゃそうだ、いつもだったら「月基地ではどうした」とか「君の小さいときはどうだった」とか、どうでもいいような話を延々と続けているんだから。
 そのうち、ちらちらとこっちを向いている視線を感じるようになった。
 それでも話しかけない。
 追いかけるのが俺ばっかなんてずるいじゃないか。
 そんな思考がちらりとよぎって、ムウは危うく失笑するところだった。
 マリューの気持ちがわからないわけじゃない。彼女が仕事中にあまり私語をしないのも、積極的にイイコトをしに来ないのもそれは全部生真面目でほんの少し過去を引きずっている性格の所為。
 そんなこととっくに承知で、そんなところも全て含めて、この女へは愛しい以外のなんの感情もないと自分では思っていた。
 どうも、俺はそんなに出来た奴じゃなかったらしい。
 疲れた、なんてそんな深刻なもんじゃないが、少しだけ空しくなったというか、理不尽に思ったというか──多分もうすこしだけ、彼女におってきて欲しかったんだと思う。
 ガキが。
 わかっていたが、今更引き下がれずに、馬鹿みたいに仕事を続けた。マリューが何を考えているか気になって、集中なんか出来るわけがない。
「ムウ」
 聞き間違いかと思った。
 気づかれないように一瞬だけ彼女を窺う。多分、間違いじゃない。
 あの声をなんて言ったらいいんだろう。
 その声が聞けただけで、一日意地を張った甲斐があったと、俺は本気で思った。でも、どうしてももうすこし同じ声が聞きたくて。緩みそうになる表情を必死になって引き締めた。
 聞こえないふりをするから、もう一度聞かせてくれ、マリュー。
「ムウ」
 ヤバイ。
 返事が出来ない。というより、したくない。それでマリューを困らせるとわかっているのに。
 でも、その声は反則だ。
 なんで俺ばかり君を追いかけてるんだ、なんて、つまんないことどうして考えたのか、一瞬でわかんなくなっちまった。
 ついでに、返事をするそのやり方も、頭から飛んでいた。
 沈黙がまた少し続いて。ふいにかつかつというマリューのパンプスの音が近づいてきた。
 あ、怒らせた。
 直感的にそう思ったときには、世界が半回転していた。
「は」
「ムーウ!」
 目の前には微かに眉を寄せ、赤くなったマリューの顔。唇が、そんな顔をしていいのかわからない、と言っているように少しふしぎな感じに歪んでいた。それでも綺麗だ、と思いながら、ふと彼女の後ろに見えているのが、天井だということに今更気づいて。
 爆笑してしまった。
「なんで笑ってるのよぅ!」
「だってマリューさん、これ・・・誘ってる?」
 今更逃げようったて離すもんか。マリューに押し倒されるなんて、この先いつあるかわかったもんじゃない。がっちり腰をホールドして逃亡阻止。
「離して」
「君がやったんデショ?」
「あなたが私のことを無視するからじゃない。私は怒ってるのよ?」
「ごめん」
 あんまり君が可愛かったから、つい。
 正直に言った。
「ばかみたい」
 ああもう、本当に可愛いなあ、その反応。
「だからもうすこしだけ、このまんまでいてよ」
「しょうのない、ひと」
 おずおずと笑った顔が愛しくて。
 結局俺はそんな彼女をおもむろにひき倒した。可愛いマリューにもうすこしだけ、近づきたくて。















私の誕生日に酔桜屋の琴姫さんに頂いたフラマリュです。

マリューさんが可愛くて可愛くてもう私どうしたら良いのか…あぁぁぁもうかっわいいなー!!!(叫)
アレです。私生まれてきて本当に良かった(真顔)。

琴姫さん、素敵なお話を本当に本当にに有難うございました!!!

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